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尊敬する知の巨人 松岡正剛先生によると

==本棚は本である。それとともにタイトルも

表紙も目次も、中見出しも帯も本なのである。

読者はこれらを読んでいる。本にマーキング

することも、本棚の本を並び替えることも

読書なのである==『インタースコア』より

ということなので、積読していることに

後ろめたさを覚える必要はないのだけれど

やはり、そこに待っている言葉たちがいる

と思うと、ちゃんと扉を開いてあげたい。

でも、一冊をまっとうに読むのは意外に

時間がかかる。

私は、速読インストラクターだし、フォト

リーダーでもあるけれど、やっぱり好奇心

の速さと本を読む速さは全く違うので

追いつかない。

それもあるけど、CDのジャケ買いと同じで

丁寧に装丁された本には心が躍って

手元に置いておきたいと思ってしまう。

本棚にしまって、時おり楽しみたい。そう思う。

(結局、本棚にしまわず積まれるんだけど)

かくして、私の部屋の床面積の半分くらいは

扉を閉ざされた本が置き去りにされている。

エラ・フランシス・サンダース(著)

『翻訳できない世界のことば』

によると、「TSUNDOKU」は

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積ン読。買ってきた本をほかのまだ

読んでいない本といっしょに

読まずに積んでおくこと

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とあります。

ホンスキーが高じると、読むスピードより

購入するスピードが上回るゆえの現象です。

一度はまると一生ぬけられない甘いワナでしょう。

なんだかんだいいながら、ホンスキーは

その積み上げられたタワーをみるのが

楽しみなのですから。

積読本が部屋の床面積を半分以上をしめると

ルンバの活躍の機会を奪うことになるので

周期的に、一掃セールをしなければならなくなる。

これは機械的に行わなければ、目的を達成できない。

心を鬼にして、特級品、高級品を決めたら

あとは、1年ほどねかしてしまったビジネス書、

実用書、文庫本から売っていく。

ちょっと気が利いている装丁の本を売るのは

とても勇気がいるのに、私の思っているほどの

価値にはならない。

大量生産できるものは、手に入れた時点で価値は下がるのだ。

そこから考えれば、人間もオリジナルを前面に出している人の

ほうが価値があるようにみえるのは当たり前かもしれない。

私たちの頭はそう考えるようにできているのだから。

まぁ、人はオリジナルであって、一つとして同じものは

ないはずだけれど、画一化されるように教育を受けてきた

身としては、相反する矛盾の中でもがいてきたわけで

今さらオリジナル性を求められても、結構困る。

まずはやってみること。

以前の私は、プランを考えすぎて動けなくなるタイプでした。

準備万端で挑みたいタイプだったのです。

でも、そんなこと言ってたら、あっという間に

おばさんになっちゃいました。

この年になってようやくわかりました。

何が成功で、何が失敗かなんて、わからない。

だから、やってみればいいやん。

そんなわけで、積読本大放流プロジェクトの開始です。

折しも七十二候では、『蟄虫啓戸(すごもりむしとをひらく)』

ちょうどいいタイミングがきているようです。